父はアルコール依存症でした

「蛙の子は蛙」か

父はアルコール依存症でした

 今日はもう飲むことをやめよう。私は飲んだら家族に迷惑をかけるからと、何回思ったことだろう。どうしてやめたくてもやめられないのだろうと思いながら、夜になると

もう落ち着かず、子供達の目を盗みながらキッチンで、音がしないように神経を張りつめながら、1升ビンからコップに注ぐ。一気にグイーと飲む。飲んだあと、また飲んで

しまったと。そのあとは、体が納得するまで飲む。本当に苦しかった。
 子供達は「また飲んでる」としらけた目で私を見ている。それを感じながら、子供達になんだかとりとめのない言い訳をする自分がいた。最初、笑い上戸であった自分が、

いつの間にか酒に飲まれていくのは早かった。あの頃の自分の生き方は、心に余裕などなく、いつも風船球がパンパンになっている感じ。そんな毎日を過ごしていました。
 そんな生きづらい生き方しかできなかった根は、育ちの中にあったように思います。私の父親もアルコール依存症でした。酒乱で酒を飲むと人が変わり、夜が恐かったです

。今夜はまた何がはじまるのか、どこに逃げるのか。酒のない国はないか、父が死んでくれたらと、真剣に悩んでいました。そんな折、父は飲酒運転で事故死してしまいまし

た。私が小学校6年生のときでした。その後、学校から帰ると、普段は気丈な母親が、仏壇の前で木魚を叩きながら泣いていました。「あんたは好きな酒飲んで死んでしまっ

たけど、これから私は2人の子供をどうやって育てて行けばいいのよ!」と。
 私はそれをそっと垣間見ながら、自分が今後しっかりして母親を支えなければと、心に決めていました。その後、私の自分を捨てての親孝行病がはじまりました。自分なり

になりたかった職業も捨て、母に言われるとおりに家業を手伝いました。母が喜んでくれたらホッとするのです。その後結婚しても主人、子供達に気を使うより、母親の顔色

をずっと見てきました。
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「蛙の子は蛙」

「蛙の子は蛙」か

「蛙の子は蛙」

 私には故郷が2つあります。ひとつは生まれ育った北国の小さな田舎町。そしてもうひとつは、私を新生させてくれた旭川市。僅か3年の旭川での生活は、私の人生を180度

変えてくれた大切な故郷になりました。
 高校卒業と同時に札幌へ出てきて、昼はレストラン、夜は専門学校と忙しい日々の中で、酒も多少は口にしていました。仕事を覚えはじめた頃、店のママがランチタイムの

あとにビールを1本持ってきて、スープカップに注いでくれました。汗をかいたあとのカップ1杯のビールの味は、今でも忘れられません。初めてビールがおいしいと思った

瞬間でした。昼間の酒の味を覚えたのです。それから私が仕事をやめるまでの3年間、毎日続きました。
 23歳で最初の結婚をしたのですが、5年目に離婚。酒浸りになるまで時間はかかりませんでした。朝なのか夜なのか、何日たったのかも分からない状態の中で、思うのは別

れた相手への恨み、憎しみばかりです。あれほどお互いを必要として一緒になったのに、こんなに変わってしまった心の変化に自分でも驚きはしましたが、もはや酒で狂った

頭の中には魔物が棲んでいて、コントロールができない状態でした。まわりの人たち全てが幸せそうに見えて、世の中全てが疎ましく思いました。何の希望もなく、生きる気

力もなく、狂った頭で考えた結論は「死」でした。
 何日間かかけて酒を買いに行きながら、薬局を回り薬を買い求めました。以前病院で出してもらった安定剤と眠剤を合わせて、酒と一緒に飲みました。これで楽になれる…

…はずでした。気がつくと病院のベッドの上でした。私の様子がおかしいと気づいた友人が、管理人に頼んで鍵を開けてもらい発見したそうです。
 助けられた私は、それから死ぬのが恐くなり、勇気もないまま生きていかなければなりません。何とか気持を切り替えて働きはじめた理由は、帰ってから飲む酒のためでし

た。そのうち給料だけでは足りなくなり、
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父と2人で通った断酒会

「蛙の子は蛙」か

父と2人で通った断酒会

 現在私は、5歳の娘と実母との3人暮らしを送っている。日々穏やかに暮らせる喜び、普通であることの幸せを噛みしめながら……
 私は子供の頃の出来事を思い出したくない。消せるものなら私の過去から消してしまいたい。そうしたら、アル中にはなっていなかったかも知れない、と思う時がある。小

学校時代の自分の記憶をあまり思い出せない。家族との楽しい旅行や学校行事の思い出も、嬉しかったことも何も思い出せない。ただ思い出すのは、いつも父親が酒を飲み母

親とけんかしては物が飛んでいたこと。一番衝撃だったのは、父親が包丁を持って母親を追いかけている姿を見た時だ。母親は私の手を握り、裏山へと逃げる。「お母さんが

殺される!」そんな気持で、無我夢中で母親と一緒に走っていた。
 どれくらい経ってからか、家へもどるとまた酒を飲んで父親は寝ていた。酔いから覚めるとまたけんかがはじまり、父親は今度は、母親の背中を靴で何回も何回も殴ってい

た。私にできることは「やめて!」と泣いて父親に叫ぶだけ。母親は「ごめんなさい」と謝っている。私は「お母さんは悪くない、悪いのはお父さんだ!」と心の中で叫んで

いた。
 父親は母と私がお風呂に入っていたときも、いきなり石炭の灰をお風呂の中に投げ込んだ。悔しいやら悲しいやらで涙がどんどんあふれてくる。と同時に父親に対して憎し

みが湧いてきた。そんな家庭の中で、もうひとつ私の心に封印したい出来事が起こった。
 それは私が小学3年生頃から6年生まで、近くの中学生に性的悪戯を
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