「蛙の子は蛙」

「蛙の子は蛙」か

「蛙の子は蛙」

 私には故郷が2つあります。ひとつは生まれ育った北国の小さな田舎町。そしてもうひとつは、私を新生させてくれた旭川市。僅か3年の旭川での生活は、私の人生を180度

変えてくれた大切な故郷になりました。
 高校卒業と同時に札幌へ出てきて、昼はレストラン、夜は専門学校と忙しい日々の中で、酒も多少は口にしていました。仕事を覚えはじめた頃、店のママがランチタイムの

あとにビールを1本持ってきて、スープカップに注いでくれました。汗をかいたあとのカップ1杯のビールの味は、今でも忘れられません。初めてビールがおいしいと思った

瞬間でした。昼間の酒の味を覚えたのです。それから私が仕事をやめるまでの3年間、毎日続きました。
 23歳で最初の結婚をしたのですが、5年目に離婚。酒浸りになるまで時間はかかりませんでした。朝なのか夜なのか、何日たったのかも分からない状態の中で、思うのは別

れた相手への恨み、憎しみばかりです。あれほどお互いを必要として一緒になったのに、こんなに変わってしまった心の変化に自分でも驚きはしましたが、もはや酒で狂った

頭の中には魔物が棲んでいて、コントロールができない状態でした。まわりの人たち全てが幸せそうに見えて、世の中全てが疎ましく思いました。何の希望もなく、生きる気

力もなく、狂った頭で考えた結論は「死」でした。
 何日間かかけて酒を買いに行きながら、薬局を回り薬を買い求めました。以前病院で出してもらった安定剤と眠剤を合わせて、酒と一緒に飲みました。これで楽になれる…

…はずでした。気がつくと病院のベッドの上でした。私の様子がおかしいと気づいた友人が、管理人に頼んで鍵を開けてもらい発見したそうです。
 助けられた私は、それから死ぬのが恐くなり、勇気もないまま生きていかなければなりません。何とか気持を切り替えて働きはじめた理由は、帰ってから飲む酒のためでし

た。そのうち給料だけでは足りなくなり、
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