1人ではやめられなかった!

「酒を飲むのに理由はいらない」か

1人ではやめられなかった!

 病院へ向かう足どりは重く地面にへばりつき、頭上からは真夏の太陽がギラギラと照りつけている。これから一体どうなるのだろう。もう駄目だ! 頭の中は混乱していた

。平成7年7月24日、姉につき添われて病院へ向かったあの日の思い、あのときの太陽の痛さはいまも忘れない。
 「アルコール依存症・コントロール障害」思いがけない病名を宣告された。飲み続ければ最後には生命を落とす、進行性の恐ろしい「病気」であると。長い間飲み続けた酒

。少しずつおかしくなっていく自分に気づき、もう酒は飲まないと思いながらどうしてもやめることができなかった。そして全てを失った。アルコール依存症についての知識

を勉強し、断酒の意志を固めるため3か月間の入院生活を送った。夏から秋へ、酒のためにいつの間にか忘れかけていた「季節」を感じながら。

 私たち家族は台湾からの引き揚げ者で私は4人姉妹の3番目、今年62歳です。村を縦断する川そして田んぼと山。自然に囲まれた小さな村でなんとなく貧しさに疑問を感じ

ながら、真っ黒になって野山を駆け回っていたとても元気のいい女の子でした。小学校入学直前に両親が離婚して母は私に白いズックのさげ鞄とクレョンを残して去り、成人

後には母との交流もできましたが、何故かいまだに心から母を許せないのです。
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お酒ってなんて居心地がいいんだろうと

「酒を飲むのに理由はいらない」か

お酒ってなんて居心地がいいんだろうと

 20歳の大学3年の春頃、薄い水割りに「なんてお酒って居心地がいいんだろう」って思いました。寝る前にウイスキーの水割りを2杯ばかり飲んで、日記を付けたりして、

そんなお酒が自分の世界を楽しく広げてくれるのがすごくうれしかったんです。でもそれがすぐに、昨夜のことも覚えていないくらいの深酒になってしまいました。
 外に出て飲むこともせずに、自分の部屋でテレビやラジオを相手にしながら飲むものだから、自分の酔い加減がわからない。ただ量だけは元々飲める口を持っていたらしく

て、どんどん増えました。最初は数杯で気持ちよくなっていたものが、3か月もしないうちに朝、起きてみると洋服を着たままだったり、半分以上減っているボトルを見て愕

然としたりして。「しまった……また、こんなに飲んじゃったんだ」。しかも昨夜の記憶がないのです。
 3年の春にお酒っていいなって思ったものが、夏には「もう今日だけは、今晩だけは飲まないでおこう」って、それも我慢できなくなりました。そして秋、いくらなんでも

自分のお酒の飲み方が異常じゃないかと心配になって、本屋で『家庭の医学』なんかを立ち読みするんです。でも、それを読んでも「私は心理的な依存かもしれないけれど、

まだ身体的な依存にはなっていないから、ここで休肝日をつくって、1週間に1日でも2日でも飲まない日をつくれば飲んでもいいんだ」というように、何か何でも「飲んで

もいい」方向に無理矢理もっていってしまうんですね。
 4年になって短大に進学して上京してきた妹との2人暮しが始まりましたが、「お酒の臭いがする姉ちゃんなんか嫌だ」っていう妹だったので、当然のように妹が学校に行

っている間の昼間のお酒になりました。それからはどうにもならなくなるまで、あっという間だったです。
 結局4年の夏休みに田舎に帰省した時に、私のお酒がとんでもない飲み方になっていることに驚いた両親に、地元の精神神経科に連れて行かれ、その場で入院する羽目にな

りました。

 本当に私は、お酒なんて味わって飲むことをしらないうちに依存症になってしまって、気が付いたら病院。なんでこんなことになってしまったんだろうかって思うんですけ

ど、自分で自分のことがわからないままに病院を出たり入ったり。自分の人生が、どこかおかしいって思うんです。そして、それがお酒が原因だっていうことは分かるんだけ

ど、やめるってことが全然頭にないもんだから、どんどん心が曲がっていきましたし、そのたびに両親を奈落の底に突き落とすようなことばかりを繰り返してきました。
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